高橋国光氏

Motorsport

先日、高橋国光さんのお別れ会に行ってきた。
ウエスティンホテル東京の地下2階にて行われた。写真は会場の一部だが、ご覧のように実に沢山の方が献花に訪れていた。

高橋国光さんは、その素晴らしい実績と立派な人間性と共に、まさに日本のレーシングドライバーの頂点におられた方である。

これまで我々モータースポーツの世界では初めてとなる、文部科学大臣の「スポーツ功労者顕彰」を令和2年に授与されている。
その功績は、1961年に2輪の世界選手権、ドイツグランプリで日本人として初めて優勝を遂げたことに始まり、その後4輪レースに転向後も数々の実績を収められ、2輪4輪で通算71勝を挙げられている。
また、ドライバー引退後もレーシングチームオーナーをはじめGTアソシエイションの会長など、モータースポーツの要職に就かれていた。

そして、日本の全てのレーシングドライバーの大御所として、その温厚な人柄と共に尊敬されてきた人である。

そんな高橋国光さんと私との関りは、というと。
私が20歳頃のこと、仕事を含めて人生の目標に迷っていた時。
「好きな道に進みたい」と、好きだった自動車関係に興味を持ち、その技術的頂点とも思える自動車レースを見に鈴鹿サーキットに行った。
その時、あまりに見事なドライビングを見せる高橋国光さんに衝撃を受け、その後、何度も鈴鹿サーキットに足を運ぶようになった。
そして、文無しの状態にもかかわらず、自然とレースをやるべき意識が芽生えてしまい、そこから私のモータースポーツ人生が始まっていた。
従って、私の中では高橋国光さんは特別の存在であった。

「おーい、畑川君 ! 」
数年前、鈴鹿サーキットのパドックで、丁度到着された高橋国光さんから声を掛けられた。
「どうも、クニさんこんにちは」
本来、高橋さんと呼びたいところだが、もはや同業者でもあり、知人にもなっているので「クニさん」と呼ばせて頂いていた。

こんな幸せがあるだろうか。
私のレース人生のきっかけとなった恩人に、やがて知り合い、ある場所では共に話し、こうして声をかけて頂くようになった。

そんな尊敬する高橋国光さんが亡くなった。
人はいつか死ぬのだから仕方無い。
しかし、葬儀や送る会などがあったら教えてほしいと、色々なレース関係者に声を掛けた。
そして先日、「高橋国光 お別れの会」に列席出来た。
「クニさん、いや、高橋国光さん、本当にありがとうございました」
花を手向け、心より手を合わせた。

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