モータースポーツの仕事をしてきた関係から、全国のサーキットに出向き各地を訪れてきた。しかし、思えば仕事の上でサーキットのある所に往復していたばかりで、一般的な観光地には殆ど行ったことが無かった。
半ばリタイアした昨今、観光地に行くことが楽しみになっている。
そんなこんなで今回は・・・
日本を代表する観光地、日光に向かった。
日光は関東の方には馴染みの所ではあろうが、私の住む三重県の鈴鹿からは遠く、特にクルマで向かうので少し気合を入れて臨んだ。
これぞ、日光東照宮を代表する、国宝の”陽明門”だ。
500以上の彫刻がほどこされ、金色に輝く姿は、まさに圧巻である。
是非、写真を拡大して見て頂ければ、と思う。
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の有名な彫刻は、人間の一生を8面の彫刻で表されたもので、表門から入ってすぐの、ご神馬の厩の壁にあった。
「見ざる・言わざる・聞かざる」は少年期を表し、左から二番目にある。
表門から見た広い参道は、僅かに角度がつき、実は江戸城に向かっていたとは、テレビで言っていたな。
宿泊は日本最古のクラシックホテルと言われる日光金谷ホテルを予約した。
左側が本館で、私達夫婦は正面右側の別館の部屋だった。
フロントで別館と聞いた時には「何だ、本館じゃ無いのか」と思ったが、とんでもない、この別館こそが代々天皇陛下や世界の要人が来られた時に泊まられた館で、三階の一番奥の角部屋がそうらしいが、我々は三階の一番手前(写真では部屋の電気の点いている)の部屋だった。
昭和10年という古い館なのでエレベーターは無く、階段を上がるが、陛下もこの階段でお上がりになったのか、と思うと、不思議と苦にならない、などと、人の感覚などいい加減なものだ。
朝の窓からの景色。
男体山に雲がかかり、美しい景色が見られた。
陛下も、この景色を・・・・もう止めよう!
何と、金谷ホテルの展示室には、こんなレイアウト(ジオラマ)が飾られていた。
私は鉄道模型趣味誌(TMS誌)で見たことがあったが、以前に存在した日光軌道線を模型化したものだ。
なるほど、我々の泊まった金谷ホテルの別館がこの模型でも丘の上に作られていたのだ。
日光は高貴な所だ。
こちらは「日光田母沢御用邸」、今は記念公園となっていて見学が出来た。
明治32年に大正天皇(当時は皇太子)のご静養地として造営され、大正天皇ご即位後に現在の姿に、つまり、106もの部屋のある広大な御用邸となった。
時間が無いので、急いで見学をさせてもらったが、この写真は天皇陛下の謁見所。
各部に手の込んだ実に立派な作りの部屋だった。
因みに、大正天皇は立たれて謁見されていた、とのことだった。
ガラリと変わって、こちらはダム湖の写真だ。
右の看板を拡大して見て頂くと判る。
ここは件の八ッ場ダム湖である。
ダム建設の反対運動は長引き、2020年にやっと完成(運用)したものだ。
ダム建設の中止時によく見たが、あの時、この橋の橋脚が空に浮かんでいたのかな。
草津温泉への導入路「浅間・白根・志賀さわやか街道」では今も桜が満開だった。
山桜の美しさはあちこちで見られ、ソメイヨシノとはまた別の美しさが見られた。
宿泊した「草津温泉 望雲」。
日光では食事を含み全て西洋風だったのに対して、今度は全て純和風だ。
ただ、内部は素晴らしい建築で、きっと著名な建築家によるものだろう、和モダンの様相が見事だった。
そして何より温泉だ。ちゃんと、三か所ある温泉を朝晩、いや晩朝で回った。
実は二種類の源泉があり”万代鉱源泉”は熱く(体感温度45度位)、しかし、とても体に効果的な感じを受けたし、もう一方の”西の河原源泉”が湯畑を通ったお湯で(体感温度43度位)、何とも肌に柔らかい温泉だった。
草津温泉からの帰路、長野の「善光寺」に立ち寄り、お参りをさせてもらった。
古来より「一生に一度は善光寺参り」とも言われるではないか。
写真は山門の上からの本堂を見たところ。
丁度、七年に一度という御開帳の期間にあたり、また、コロナによる制限も開けているので多くの人が訪れていた。
とは言え、ゴールデンウィーク(GW)直前であり、GWに入ったら、こんなものでは済まないだろうな。
全走行距離は1199.6km、平均燃費は19.7kmだった。
長距離を走行したが不思議なほど疲れなかった。
まさにヴェゼルの良さで、高速道路では殆ど自動運転に近く、私が時々ヴェゼル君の運転支援をする程度だ。一般道ではサスペンションの良さで角の無い乗り心地が気持ち良く、ハンドリングも良好で運転し易いし、シートも3日間も乗ったのに腰が痛むことも無かった。
また、山道も多く走ったが、上り坂でも少しアクセルを踏むだけで思う以上の加速が得られるので心理的にも坂が負担にならなかった。
そうだ、唯一、カーナビの高速道路での文字表示(ICの名称など)が間違った場所名を示すのでパーキングエリアに入り、エンジンを掛けなおすと治った。
何れにしても、自車ながら、改めて素晴らしいクルマだと思った。