歳をとると昔を懐かしむことも多くなる。
先日は小学校時代の同級生達に家に遊びに来て貰い楽しい思いをした。
そう、少し故郷の話でもしようか。
もう三重県の鈴鹿に住んで久しいが、私にとっての故郷は京都の伏見だ。
京都と言うと聞こえが良いかも知れないが、疎水の川べりに民家が並ぶ何でも無いところだった。
因みに、伏見の地名の由来は、伏水が語源とされ、良質の地下水が湧き出る所であり、名水の出ることから酒造りが盛んとなった由。
小学校への通学路は古い酒蔵の並ぶ横の道で、しかし慣れた景色は退屈なものだった。
家の前を流れていた川の少し先には寺田屋があった。しかし当時は殆ど人も訪れず、ただ古い旅館がある、という印象だった。
あれから50数年、そうか半世紀余りが経った訳だが、伏見の街は変わらないようで変わっている。その変化は伏見の持つ付加価値を生かした街づくりがされていた。
何でも無かった家の前の川には、時代を遡るように十石舟が浮かんでいる。
江戸時代には、ここ伏見港から大坂に旅客や荷物を運ぶ「十石舟」「三十石船」が行き来していた。
そう言えば、森の石松の話で、石松と乗り合わせた船客が清水次郎長一家を褒めている。石松は嬉しくなり「次郎長一家で誰が強いのか」と尋ねると、次郎長や大政、小政の名前が出ても、なかなか自分の名前が出ないので、「飲みねえ飲みねえ酒飲みねえ」「食いねえ食いねえ寿司食いねえ」と客に奢る。
やがて、「ああ、あと森の石松が居た、でも、あいつは馬鹿だから・・・」となり、
「何だと、この野郎、俺がその石松だ」と暴れ始める。
という新国劇の芝居を父親に連れて行ってもらい見た記憶があるが、それがこの三十石船だったとは。
一方、寺田屋は寺田屋事件、つまり寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の捕り方に襲われたが、からくも逃げ出し九死に一生を得た、その場所である。
近年の「坂本龍馬」人気からか多くの人が訪れるようになり、その横の商店街は以前は納屋町だったはずだが、今は「竜馬通り」に改名されて竜馬ゆかりの店が並ぶようになった。
ホント、昔は地味なところだったんだけどなぁ。
そして、小学校の通学路だった大倉酒造というか大倉さんと呼んでいたが、その酒蔵の横の道は綺麗に整備され、昔の埃っぽい印象は無くなり、花水木が美しく咲いている。
そして、この先の左側は観光バスも停まれる大きな駐車場になっている。
というもの、こうして月桂冠大倉記念館が出来ているからで、見学すると見本の利き酒もさせて頂ける観光名所となっている。
無論、伏見には他にも酒造会社は沢山あり、「黄桜」は酒造りの見学コースや直営施設の「カッパカントリー」は記念館や居酒屋レストラン、売店をお洒落な雰囲気で展開している。
あるいは、「神聖」は酒蔵を改造して「鳥せい」というこれまた雰囲気のある居酒屋/食事処がある。
たまたま先日訪れたのだが、何と隣のテーブルには外人の観光客が入ってこられた。注文をどうするのか心配したが、店員が出したメニューはちゃんと英語版が準備されていた。
少し話をさせて頂いたがカナダのトロントから初めて日本に来られたご夫婦で、日本を大変気に入っておられて、こちらまで嬉しくなってしまった。
酒どころの伏見として、酒造りに関連する価値を生かした展開により、多くの観光客が訪れる街となっている。
多くの地域では、街並みはシャッター通りになり、昔の繁栄を懐かしむ向きも少なくない。しかし私の故郷伏見は、巧みに歴史を生かして現代に生きている模様だ。