今回は「イングリッシュ・ブレックファースト」を1回休ませて頂いて、久しぶりに雑誌に私がチラリと載ったので、その話でもしようかと思う。
今、発売しているレーシングオン誌だ。ナイジェル・マンセルの特集をするとのことで編集部から連絡を頂き、私の以前の写真と昔話をした。
献本を頂き、見てみると内部の「大英帝国の愛すべき息子・誕生前史」というサブタイトルの部分だった。
「この日のレースではジャンピングスポットで一番高く飛んだドライバーに・・・・こんなドライバーこそ、いいクルマに乗せてやりたいものだ」と私が昔、オートテクニック誌に書いた文章が紹介されており、章の後ろの方に下の写真が掲載された。

レーシングオン誌面より
私が1979年にイギリスのF3レースに参戦していた時のもので、彼も同じレースを走っており、たまたま私のレースのマネージメントをして頂いた方がマンセルとの知り合いで、こうしてパドックで写して頂いた写真だ。因みに談笑するほど私は英語を喋れなかったが。

こんな写真もあった。これが初めてマンセルを紹介された時の写真だ。
レースに詳しい方はお分かりのように、ナイジェル・マンセルは後にF1でチャンピオンに輝き、世界一を獲得した凄いドライバーになり、まさにイギリスを代表するドライバーである。
しかし、1979年当時はクルマに恵まれず、5・6番手のレースをしていた。
ある時、練習走行で私とマンセルは当たりそうになった。私のミスだったが、その時のエスケープに彼の反射神経の凄さを私は目の当たりにした。世の中には、こんな反射神経を持つ人間がいるのかと、私は驚愕した。
私も当時はクルマの調子に手こずっていて、その時の予選走行時、あるコーナーでクラッシュしてしまった。前のトップクラスを走るドライバーに、せめてブレーキングだけは同じところまで突っ込もうと我慢したが、そこからではクルマが全く止まらずにバリアに突っ込んでしまったのだ。その後、クルマがパドックに運ばれたのだが、するとマンセルがやってきて「あれは、ドライバーは悪くない、後ろを走っていて見たが、車輪が浮き上がっていたからだ」と話しに来てくれたのだ。どうも路面のうねりにクルマが対応出来てなく3輪走行となりブレーキが利かなかったようだ。
そんなこともあったなぁと、思い出す。

1987年、鈴鹿サーキットでF1レースは開催されていたが、当時、私はドクターカー・ドライバーをしていた。ただ私の乗る車はF1界のメインドクターであるプロフェッサー/ワトキンス氏を乗せる「ワトキンスカー」と呼ばれ、そのドライバーを仰せつかっていた。
土曜日の予選走行でS字コーナーでウイリアムズ・ホンダに乗るナイジェル・マンセルがクラッシュした。ワトキンスカーは一番に飛び出して現場に向かう役割で私はS字向かった。マンセルはスピンしてバリアにぶつかりクルマは飛び上がって着地して止まっていて、マンセルは大変痛がっていた。
私は到着して前から彼の様子を見ると、一瞬、私を見て怪訝な顔をした。多分、どこかで見た顔と思ったのだろうが、すぐに痛がった。私が腕を触ったら猛烈に痛がるので止めた。ワトキンスは「背中のコンプレッションだろう」と私に言った。
やがて到着した救急車で医務室そして、ヘリコプターで病院に搬送された。
そんなこともあった。
何年だったろう、マンセルが引退してから何らかのイベントで鈴鹿サーキットを訪れていた。偶然だったがコントロールタワーで見合わせた。握手を交わしたのだが、しかし、彼は私のことを覚えていなかった。
そうだろう、F1の世界でトップを極め、過去何十カ国ものレースに何年も出場しており、どれほど沢山の人を紹介され、また多くの要人とも合っていることだろう。
昔、ちょっとイギリスで知り合った者まで覚えていようが無いほど、彼は大きな世界を歩いてきていたのだろう。

レーシングオン誌面より


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