国宝 三十三間堂

Travel
oplus_0

京都には長年住んでいたけど、意外と観光名所にはあまり行ったことが無かった。
夏の暑さも少し落ち着いた九月の末、テレビの「ブラタモリ」でやっていた三十三間堂に興味を持ち、早速向かった。
120mもある長い本堂だが、正面の柱が33本あることから三十三間堂と通称される由。

内部の写真は写せないのでパンフレットの写真を引用させて頂くが、とにかく本堂に入ると千手観音像が千体(正確には1001体)も並ぶ、その迫力に圧倒されてしまう。
その千手観音像を守る像として前には、雷神・風神そして二十八部衆の各像が並んでいる。

これは中央にある大きな観音座像で誠に立派なものだが、この左右ある1001体の千手観音立像の、それこそ、ひとつの像を見ても手の込んだ木造の素晴らしい作りで、それらの1体だけでも国宝級のものにも思えた。
そのような素晴らしい像を1000体も作るには、どれほどのエネルギーが使われたことだろうか、それにも増して、これら作らせた側には、どれほどの力があたのだろうかとも思う。

三十三間堂は、正式には蓮華王院といい、1164年(長寛2年)に後白河上皇が離宮として建てた広大な法住寺殿があり、その一角に当時、権勢を誇った平清盛の資材協力によって創建されたものとある。
また、三十三間堂の境内の南側には太閤塀が伸び、入口には南大門があるが、これらは豊臣秀吉による桃山期の建造物だ。
というように、まさに京の都ならではの建造物だと思わせる。

ここは本殿、中央の東大門からの、本来は正面入り口だろうが休憩用の椅子なども置かれていた。
ここで、縁側に座るようにして休憩したが、涼しい風が吹き抜け、何と気持ちの良いことか。
京都の街の中に居るとは思えぬ静けさと、自然の風に、居眠りをしそうになった。

暫く休憩をして、本殿の外に出て周囲を歩くと本殿の前の庭には二つの池があり見て回った。

oplus_0

そして本堂の裏に回ると、長い軒下がある。
ブラタモリでも紹介されたが、この長い軒下で「通し矢」と呼ばれる弓道大会が行われてきたという、その長さ約121m、確かに長い。
よって、軒に当たらないよう矢を射るそうだが、これまでに軒先に打ち込んでしまった矢が残っているとのこと。

oplus_0

それは見つけねばと、弓矢が円弧を描いて飛ぶであろう頂点のあたりを探した。
「見つけた!」と、こちらも遊ばせてもらった。

帰路、売店で珍しいものを見つけた。
奈良時代、遣唐使により伝えられた唐菓子で “千年の歴史の姿そのまま” とあり、お店の方から説明も受けた。
最古のお菓子とも言えるものらしく、これは食べなくてはと自分土産にした。

巾着状の袋は胡麻油で揚げて有り、中は餡子になっているが、当初は・栗・柿・あんず・薬草など7種の香だった旨だが、徳川中期に小豆餡になったとのこと。
肝心の味は、というと、まず皮が硬いので底の部分から割って食べるのだが、皮は流石に脂っ濃く、また妙な味がする、中の餡子はパサついているが普通に美味しい・・かな。
でも何より、千年の昔の菓子を頂いていると思えば、何となく有難い感じがする。

三十三間堂の北隣にある豊国神社には、豊臣秀吉により”京都の大仏”が作らていたという。奈良東大寺の大仏よりも大きかったらしい。しかし、落雷による火災で焼失した旨、ブラタモリでは大仏殿跡も紹介されていた。
そちらにも行きたかったのだが、実は今回は、この後で墓参りも兼ねていたので時間が無くなり、訪問することが出来なかった。

それにしても、ゆっくりと国宝三十三間堂を愉しませて頂いた一日だった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました