へそ曲がり故か、昔から祭りに興味が無い。
元々、京都出身であり、京都には有名な葵祭や祇園祭、時代祭をはじめ町内のお祭りまでいくつかの祭りがあるのだが、殆ど行ったことが無かった。
鈴鹿に来ても同様に祭りに行くことは無かったのだが、この地に来て40年近くなり、祭りでも見てみようかなと思った。
歳のせいかな。
鈴鹿で有名な祭りとしては「寝釈迦祭り」がある。
鈴鹿市神戸(かんべと読む)にある龍光寺で毎年3月に行われ、土・日・月曜日の3日間で行われる。
そして、この期間のみ本堂内の「大涅槃図」が開帳されることも興味をそそった。
写真は懐かしい射的の様子で、つい見入ってしまったが、冒頭の写真と共に、まずは人の多さと露店の多さに感心した。
それは約200軒もの露店が軒を並べており、いつも静かな神戸の街が非常な賑わいを見せていた。
こちらが本堂で、普段は扉が閉まった状態だが、この日は扉が開いて本堂の中の「大涅槃図」が拝める。
参拝される方は非常に多く、列が途切れることなく続いていた。
最近は鈴鹿サーキットのレース時の入場者数など気になるようになっていて、ついぞ何人くらいの人が参拝し賽銭を入れるのだろう、などと罰当たりのことを想像してしまった。
本堂の横にある会館からお寺の中が見学できるようなので入場料を払い入ってみた。
屏風や御朱印、その他、様々な文化財を見つつ進むと、本堂の中にも入ることが出来た。
正面の16畳敷もある大涅槃図の前には多くの方が座って布教師による大涅槃図に関連した法話を聞いていた。
私も後ろの椅子に、何と一番後ろにはソファがあり、快適にお話を聞かせて頂いた。
私も人前で話す機会が時折あるので、その話し方にも興味があるのだが、やはり上手で、つい引き込まれて深く聞き入ってしまった。
この大涅槃図にある寝釈迦は、お釈迦様が入滅(お亡くなりになること)される時の様子を画いたもので、地上の様々な動物(特に下に居る)が周りに集まっている様である。ただ、猫だけは魔物扱いされ涅槃図に画かれることは無いのだが、この龍光寺の絵図には、お釈迦様が亡くなる寸前に猫の不徳を許した姿として猫も画かれている。
それが、ここの涅槃図の大きな特徴とのことで、最後にその猫の絵を近寄って見た。
ついでに、もうひとつ話を。
このお釈迦様の周りに集まったのは53種の動物であるが、時の将軍「徳川家光」が東海道を五十三次としたのはこの数字に始まるという話で(諸説あるが、ここでの法話から)、ところが各地に宿場を設定して行っても52にしかならず、そこで、この龍光寺に近い庄野という地区に無理やり宿を作らせ53とした、というお話だった。
歌川広重の東海道五十三次の絵でも庄野は雨に降られた寂しいばかりの風景である。
私も庄野は近いので時折通るが、東海道の宿場としては寂しいし、西にある亀山宿や東の石薬師宿に、あまりに近いので違和感を感じてはいた。
という地域がらみのお話も興味を持って聞かせて頂いた。
本堂を出ると横にはお庭があり、その庭伝いの廊下を行くとお茶室があった。
椅子に座って戴けるの様子なので正座の苦手な私には有難く、庭を見つつ、ゆっくりとお抹茶を戴いてから帰途についた。
本当に久しぶりのお祭り見学だったが、何か心暖まるものだったし、地域の良さを再認識することとなった。
さて、このように地域に親しむようなことを思っていると、町内会の役が回って来ることになってしまった。
「思いは叶うもの」などと子供達への講習では話しているが、自身で、うっかり地域のことを思っていると叶いたくないものまで、来てしまった。
とても活動的な自治会のようで、むむっ、今年は結構大変だぞ・・・