鈴鹿サーキットのパドックに居ると、クラシックカーが入ってきた。
クラシックスポーツカーによるイベント“La Festa Primavera ”で、近畿地方の名所旧跡を巡るコース設定の競技で、その一環として鈴鹿サーキットの走行も入っていて立ち寄ったのだ。
パドックに入って来る珍しい車を見ていると、赤いカドウェルのような車が見えた。
やがて、その車が近づいて来るとラジエターインテークのマークからマセラティであることが判った。
そして私の目の前で止まった。私と一緒に見ていたレーシングドイバーの影山正美選手は、そのマセラティのドライバーと知り合いらしく、車から降りるのを迎えるように近づくが、よく見るとドライバーは堺正章氏だった。
影山選手はこれまでに何度かこのイベントに参加しているらしく知人も多い模様。
一方、私はシゲシゲと、そのマセラティを見た。1957年製のマセラティで、とても美しく、その作りはレース車両とは思えぬほど各部まで考慮されたものであることが見てとれた。
何か、当時の車作りに対する情熱とか拘りが伝わってくる思いがした。
そう、カドウェルに似ているなど、とんでもない、カドウェルが似させて頂いているのだ。
そのカドウェルがこちら。
うむ・・・
そう言えば、以前に高校の同級生が訪ねてきたことがあった。
その頃、私は会社に勤めており、そしてショールームにはカドウェルか飾ってあった。
友人はカドウェルを見るなり「これ、お前が作ったんだろ」と言った。
「何で判る?」と、私。
友人は「お前、教室でいつもこんな車の絵を画いていたぞ」と。
そうだったのか、高校生の頃に絵を画いていたのか?
というのも、実は漫画の影響からこうしたレーシングカーに興味を持ち始めた記憶があり、てっきり小学生か中学生の頃だと思っていたからだ。
その漫画はかなり良く出来ていて、ストーリーも面白かったが、車の絵の描写が実感的で興味を惹いた。
未だ鈴鹿サーキットも出来ていない頃であり、自動車レースはミッレミリアやタルガフローリオのように、公道で競うイメージだった。
ところが、最近テレビを見ていると、丁度、その漫画と同じようなイメージの映画をやっていた。
それが、この映画だが、
懐かしいね、エルビス・プレスリーとアン・マーグレットだ。
そして、乗っているレーシングカーや、ガレージの雰囲気もこんな感じだったな。
レースはサーキットではなく、こんな感じて公道で競争していた。
これはアメリカが舞台だから広大に景色だけど。
今、思うと凄い時代だったね。
さて、だからと言って、カドウェルは、そんな思い出の車を作ろうとしたのでは無かった。
趣味としてモータースポーツを楽しめるレースを作ろう。レースを楽しみ、車を持つことも楽しめる。
それは、モデルチェンジの無い、長いライフの車で、いつまでも楽しめるレースカテゴリーとして。
といった思いで始めたのがネオ・ヒストリックレースであり、鈴鹿サーキットと岡山TIサーキット(現、岡山国際サーキット)の協力を得て両サーキットでレースをスタートした。
その為に作ったのがカドウェルであり、カドウェルは16台程を販売した。
そのネオ・ヒストリックレースについては本コラム下記URLで紹介している。
http://www.hatagawa.net/2008/09/post-34.html#more
つまり、車の魅力ある時代として60年代のレーシングカーのカタチを採り入れたものだったし、それが高校生の時からイメージしていた車になっていた、という訳か。
マセラティを見ながら思い起こした。
何と言うのだろう、1960年当時のクルマには夢があったし、人と車が触れ合うような味があった。
そして、多くの人がクルマに対する熱い思いを持っていた。
一方で、若い人のクルマ離れが言われる今日この頃だ。
交通の利便性の向上、車の維持費の高さ、趣味の多様化、など色々な要因が考えられる。
しかし、こうして昔の魅力あるクルマを目の当たりにすると、クルマそのものの魅力も無くなっているな、とも思える。